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蓮の国(LotusLand)

近衛秀一の読書感想文が中心のブログ。

書評『検証 予言はどこまで当たるのか』

読書(教養)
検証 予言はどこまで当たるのか 検証 予言はどこまで当たるのか (2012/10/03) ASIOS 菊池 聡 他 商品詳細を見る

 ASIOSの新刊『検証 予言はどこまで当たるのか』(文芸社)読了。

 ちょうど明日(2012年12月21日)が、滅亡論者の言う「マヤ暦に書かれた人類滅亡」であるという。そのデタラメさについては本書を読んでもらうとして、本書は、世界を騒がせた「予言」という伝説、その裏側の「真相」を書いている。ノストラダムスの予言、伯家神道の予言、エドガー・ケイシーの予言、ジーン・ディクスンの予言…それらは本当に「当たった」のか。

 

 予言が「当たった」という場合、以下の様なことが考えられる。

 

 1.下手な鉄砲も数打ちゃ当たる理論

 大量に予言すれば、その1つが当たることもある。

 

 2.曖昧さ

 なんとでも解釈できるような予言をし、何かがあった後でそれに結びつける。

 

 3.拡大解釈

 2と似ているが、預言者の熱狂的なファンが拡大解釈ででっちあげてしまった場合。

 

 4.ジーン・ディクスン効果

 これはちょっと耳慣れないが、「外れた予言は忘れられる」というもの。当たったものは本人が宣伝するし、様々な本などにに引用されてたちまちのうちに広まるが、外れた予言は誰もが隠そうとするから忘れられ、「当たった」予言しか残らないというものである。

 

 予言、しかも「人類は滅亡する」などの終末予言が流行るのはなぜだろう。平安時代には「末法思想」や「百王思想」などが盛んに論じられた。歴史は繰り返し、時代は相当飛ぶけれど70年代の「ノストラダムスの大予言」により始まった終末ブームなども、その「終わり」に人々が熱狂してしまうあらわれなのかもしれない。やれやれ、何言ってるんだか…。

 

 「終末」「終わり」「最期」という言葉には、なぜか、甘美な響きがあるような気がする。